正義は我にあり(ネギま!考察)
いきなりベタなタイトルですいません。
元ネタはスパロボのマップBGMです。
アルファ外伝で剛健一が、
「お前達に大義はあっても正義はない!」
という台詞を言っていたのが印象的です。
それはさておき、
ネギま!の考察になります。多分…。
一応、夕映が言いたいことについてがテーマ。
哲学・倫理学はにわかでかじった程度ですので
あまり濃い中身にはできそうにないんで
期待せずに続きからどうぞ(何じゃそりゃ
※コミックス派にはネタバレ含むかもしれません
また、ややこしい哲学とかの話が嫌いな人も
読まない方がいいです。頭痛を引き起こします(笑)
元ネタはスパロボのマップBGMです。
アルファ外伝で剛健一が、
「お前達に大義はあっても正義はない!」
という台詞を言っていたのが印象的です。
それはさておき、
ネギま!の考察になります。多分…。
一応、夕映が言いたいことについてがテーマ。
哲学・倫理学はにわかでかじった程度ですので
あまり濃い中身にはできそうにないんで
期待せずに続きからどうぞ(何じゃそりゃ
※コミックス派にはネタバレ含むかもしれません
また、ややこしい哲学とかの話が嫌いな人も
読まない方がいいです。頭痛を引き起こします(笑)
古代ギリシアでプラトンは
人間の魂は「理性」「気概(意志)」「欲望」の3部分から成り、
それぞれに関連する3つの徳である
「知恵」「勇気」「節制」を実現させた時に、
4つ目の徳である「正義」が実現すると説いています。
これら四元徳に、キリスト教の三元徳「信仰」「希望」「愛」を
合わせたものが、仮契約カードの7つの徳性になっているのは
割と周知の事実かと思われます。
以上は余談(ぇ
よく、「正義は一つ!」なんてキャッチフレーズを
耳にしたりしますけど、実際はそうでもなさそうです。
現在ネギま!では、登場人物が各々の正義に従って
行動しています。
超の正義、魔法先生(魔法の国)の正義、真名の正義
夕映の正義、そしてネギの正義…
「悪には悪の正義がある」なんてキャッチフレーズも有名ですが、
時に「正義」という言葉は「信念」とか「主張」といった
言葉に置き換えることもできます。
それぞれの正義・信念・主張が相容れぬ時、どうなるのか?
話し合いで解決。というステップもあるでしょう。
(もっとも、ネギVS超の戦いは避けられないでしょうけど…)
どう折り合いをつけるのかは、色々方法があると思いますが、
一つに「功利主義」という考え方があります。
社会の一部に不遇な人達が生じるとしても、
大多数の人に利益があり、結果社会全体での利益や満足度が
最大であればOKという考え方です。
具体的には、「快楽」の量で善悪を判断するというもので、
このことは「最大多数の最大幸福」と端的に表現されることも。
ここでネギまの話に戻りましょう。
超の行動の動機は、未来で起きた何らかの悲劇を
回避するためと言われています。
その行動が「最大多数の最大幸福」になると思っていなければ
6700万人の魔法使いの存在をバラすなんて普通はできません。
(普通じゃないのが超。と言われればそうなんですが^^;)
しかし、人類社会にとっての究極的事態に関係の無いことと
作中で真名に明言されてしまいました。
ともすると、超のやっていることは
自己の幸福のみを追求した利己的なものという
可能性も否定できません。
正直、超がやろうとしていることが
「最大多数の最大幸福」に当たるかは分かりません。
現状、いずれにしても確証は無いのですから。
超自身の口(または、いどのえにっき)から真実が語られるまで
超がどちらかという明言は避けることとします。
ちなみに、功利主義の考え方を推し進めた人として
J.S.ミルという方がいます。イギリスの哲学者兼経済学者です。
彼は功利主義について、
自己の幸福のみを追求する利己的なものではなく、
人類全体の幸福を実現しようとするものだと説いています。
「己の欲する所を人に施し、己の如く隣人を愛せよ」という
イエスの隣人愛の考え方こそが、功利主義道徳の理想的極致だとも。
先程述べたキリスト教三元徳に「愛」が含まれるのも
イエスの隣人愛の教えに基づいてのことです。
さて、世間では夕映がネギにかける言葉について
色々予想されています。
彼女の論理的根拠、いわば「正義」とは何なのでしょうか?
歴史改変に伴う様々な問題点などの指摘というのが
割と各所で取り上げられています。
実際、これも重要です。
ですが、最後は「愛」だと思うんです。
それは、「信頼」や「絆」とも言い換えられます。
散々このような小難しい論述をしておきながら
こういう結論を出すのは、ちと憚られる気もしますが…
のどかが危険を覚悟でネギ側に付く理由は何でしょう?
言うまでも無くネギへの愛情です。
同様に、明日菜がネギ側につく理由はなんでしょう?
パートナーとしての絆、でしょうか。
他の仲間もきっと同様でしょう。
超を論破するための論理的根拠には
何らなりえないかもしれません。
ですが、現実問題としてネギ側が敗北した場合、
生徒達は強制送還されるネギに二度と会えなくなるのです。
超にとっての「最大多数の最大幸福」のために切り捨てられる人達。
ネギや魔法先生は当然そこに位置します。
かつて、刹那との試合でネギは諭されました。
父の背中を追う日々にも、皆のことを忘れてはならないと。
皆、ネギのことを信頼している。
ネギのために懸命になってくれている。
ネギはその想いに応えなければならない。
夕映は改めて、ネギにこのことを説くのではないでしょうか?
以前の夕映なら「感情という奴は苦手」という言葉通り、
このような非論理的なことは、わざわざ主張しないでしょう。
しかし、麻帆良祭を経て、夕映は自分の気持ちに気が付き
のどかとのわだかまりも解決し、ネギと仮契約に至りました。
今の彼女なら、このような「非論理的」主張に出ることも
十分考えられます。
ここであの哲学者の言葉が生きてくるのです。
「愛を知らぬ者が本当の強さを手にすることは永遠にないだろう」
ご存知、故・綾瀬泰造氏の言葉です。
生徒達・仲間達・パートナー達の信頼を知ることは
ネギにとって力となり、勇気を与え、
迷いを打ち消すことになるはずです。
長くなりましたが以上、夕映が主張する内容についての考察?
でした。
最後に一つ。
「scientia est potentia(知は力なり)」
夕映を端的に一言で表す言葉だと思います。
身体能力は常人・魔法も初級のみ。
ですが、夕映には徳性が表すように
「知恵」があります。彼女の今後の更なる活躍に期待です。
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